2011年3月21日月曜日

地震記録 2日目-3日目

2日目:2011年3月12日(土)

結局寝られず朝になる.やっぱり寒い.いつまでこの状態が続くのだろうと不安になる.500mlの水が支給される.救われた.たかが一晩でも,水が手に入らないというのがこんなにも恐怖なこととは思いもしなかった.

朝一番で共に避難していた研究員さんと南仙台へ向かう.黒い煙がもくもくしてるのが見えたり,お店のガラス張りの窓が落っこちてたり,マンホールから水がごぼごぼ出てたりしてありゃりゃーって感じになる.主要道路で自家発電可能な信号だけついている.コンビニには電話待ちで長蛇の列.どこの店舗も営業はしていない.

2~3時間くらい歩いただろうか.そろそろ研究員さんのうちに着くかと思ったとき,たまたますれ違ったおばちゃんが近くでご飯を支給していると教えてくれた.言われたとおりに歩くとそこは防災センター.しかも蛇口から水が出る.わかめご飯を頂く.こうやって親切に教えてくれる人はいるんだな.ありがたい.
10時ごろ研究員さんのうちに着く.車で暖をとる.ご飯を食べる,うまい.電波は繋がらない.カーナビでテレビは見れた.津波で街が壊滅してるって.若林区に死体があるって.なんだよこっから車ですぐんとこでそんなことになってのかとぞっとしつつ,疲れていたのか気づいたら眠っていたよう.

1時ごろ起床.とりあえず最寄の避難所へ行くことに.研究員さんが準備をしてくれた.車で小学校へ行く.研究員さんがワゴンでエアベッド膨らまして,私をまた寝かせてくれた(私が学校で愛用している奴のダブル版だったw).気づくと夕方.物資の支給は無いよう.研究員さんの家にあった冷凍食品のから揚げを冷たいまま頂く.いや普通にうまい.二人で交代で手回しラジオをまわす.悪いニュースばっか.そのうち寝る.朝方どうしても寒くて一度エンジンをつけた.

反省:
もうこの日はこの研究員さんにお世話になりっぱなし過ぎ.すぐ寝る前に,強気に何か貢献すべきだった.

3日目:2011年3月13日(日)

朝ラジオ情報によると,七十七銀行やってると聞く.手持ち千円ちょっとの私には朗報だった.こういうときにちゃりは役立つ.てなわけで,ちゃりで最寄の七十七に行く.休業.ガーン.長町でやってると張り紙あり.何となく脳内計画立てる.実は銀行に行く途中で,サンクスが店頭で営業しているのを見た.研究員さんはちゃりで南仙台駅に行くという.なんとも献身的な方.特に得られた情報は無かったようだった.私は代わりに当該サンクスでお茶x3,ガム,飴を入手.在庫はほとんどなくこれが限界.

避難所に戻ると,お昼に豚汁が出るという朗報.近所のとんかつ屋さんが善意で炊き出しをしてくれた.実にうまかった.冷凍のから揚げとフライドポテトをあったかい汁に突っ込むと十分うまかった.感謝に尽きない.落ち着いたらこのとんかつ屋行かないと罰があたるぞ.

避難所に新聞がくる.手回しラジオを聞く.悪いニュースばかり.

ちょっと腹ごしらえも終えたところで,思い立ってちゃりで仙台駅方面に行くことにする.結構距離ある.途中ランチ営業をしている店舗があった.長町に着くとローソンがやってた.コーラx4本を500円で購入.ケーキ屋がやってた.20分ほど並んでとりあえず腹に溜まりそうなものを購入.居酒屋がお持ち帰りを頑張ってやってた.30分ほど並んで焼き飯を購入.俺の後ろくらいで食材が切れたらしい.セーフ.何かもうこの時は飯が無くなる恐怖でいっぱいだった.

長町駅へ.電車復旧の見通しは全くたたないとのこと.自販機の電気がついてる.あったかいコーンポタージュを購入.電波がかすかに通ってる.やっとの思いで関東の姉と繋がる.色々協力してくれた.まだ両親とは通話できてない.ここ数日は音信不通.古川は電波ないだろうなと思ってた.

長町の七十七へ.とりあえず降ろせるだけ降ろした.案外ほぼ並ばなかった(前日の昼過ぎと,当日の朝は大行列だったらしい).ちゃりでの移動を考えると,時間的にも仙台に行くのは厳しいと思われたので引き返す.

研究員さんに報告.戦利品で腹ごしらえをする.電波を求めて研究員さんもちゃりで長町へ.家族と連絡が取れたらしい.連絡が遅れご両親に怒られてしまったらしい.それをうけて研究員さんは,俺を古川に送ってくれるという.いやいや燃料もったいないし,悪いですと言ったが,結局送ってくださった.本当,頭が上がらないです...

高速は緊急車両以外は通れないという情報はあった.4号を通る.案外すいすい行けた.

夜の古川.信号はバイパスだけ復活してた.暗くて被害とかよく分からん.両親とはほとんど連絡取れてないから,この時親が避難所にいるのか,自宅にいるのか不明だった.とりあえず家に行って,いなければ近くの学校を探索しよう作戦を実行.
我が家に着く.とりあえずざっくり外から見る.客間のガラスが割れてる.ガーン.そのままぐるりと家を下見.話し声が聞こえる.ドアが開いてた.早くも作戦終了.両親は無事だった.まずは一安心.家族一同,研究員さんにひとしきり感謝しまくる.長町の戦利品を分配し,彼は仙台に戻られた.かっこよすぎだろ.

この段階で我が家では水とガスが使えた.何と恵まれた環境だろう.とりあえず不安は一つ取り除かれた.気温は低いが,あったかい布団で眠れた.多くの家具は倒れたままだった.

反省:
実は研究員さんの手持ちラジオを謝って我が家に持ってきてしまった.後で死ぬほど謝ることになった.手荷物の確認は,わが人生最も苦手とするところの一つ.人に迷惑かけないよう更なる徹底をする.

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